日記0325 ハリガネ

今日は朝から母と喧嘩した

喧嘩はしてない、言われたことに私が反抗心を持ったが、自分の感情と今日という日の平穏を天秤にかけ、穏便をとったまでである

 

小指につけるピンキーリングをネットで買った。ピアスを買うついでではあったが、シンプルで華奢なデザインのリングが欲しいと思っていたところで、タイミングが良かったので買った。本編よりも先にリングが届いてしまった。それを開封し、昨夜リビングに置いたままにしていた。

 

今朝起き抜けに、母に「この箱、何」と聞かれたので小指にはめて見せた。母は「これはあまりにも針金曲げただけじゃんw」と笑った。思わず出た、というより確信を持って批判している言い方だった。許せなかった。

デザインがシンプルだし、高くはないから素材も質素だし、フォークリングといって完全に輪になっていないものなので、貧相なリングではある。

 

何を可愛いと思うかはそのひと固有の感覚であり、感性であり、感情である。誰も踏みにじる権利はないし、何かを言われる筋合いもない。それは私も母も同様で、私がそれを可愛いと思うことも、母が針金と思うことも、あって当たり前のことである。

何を思うかは平等な権利だが、それを相手に伝えるか否かは、そのひと個人の理性である。どうしてこうもいちいち人の感情を踏みにじる言葉が言えるのかと考えるが、やはりそれは家族だからだろう。

家族の中では、そのひと個人の感情は尊重されず「家族のひとり」「母の娘」として生きている。たまに嫌になる。

 

ちなみにこれは、仮に私が「このリング微妙だな」と思っていたとしても、同じ言葉を言われてムカついていたと思う。がんばって買ったものに愛着を持とうとしていたのに、出鼻を挫かれるような感覚。

 

私はその場で、傷ついたことの意思表示なり怒りの表明なりなんなりすれば良かったが、反抗した先にどんな展開が訪れるのか想像ができず「ピアスを買ったついでに金額合わせで買ったからさ」と笑って嘘をついた。言い返さない自分と朝っぱらから好戦的な母にムカついた。

この時、始業まであと5分だった。

 

一応気に入っていたものが、母の一言により「無駄な買い物」になってしまい、心底悔しい。

 

小さい頃から「無駄な買い物をするな」と教わってきた。食べ物はその並びで1番安いもの、洋服は安ければ安いほど良い、雑誌は読まなくていい、映画館には行かなくていい、お土産なんて無駄なものは要らないと言われて育った。

最近まで親の金で物を買っていたのだから、そう言葉をかけられるのも仕方ないとは思う。

が、無駄なものかどうかは本来買う人が決めることであり、他者から決めつけられるものではない。

 

親とはこういう対話をしないので、いつか喧嘩のタネができたら思いっきり言葉を投げてみようかとも思う。

知らぬ間に言葉を蓄えた娘を前にして、母は何と言うだろうか。

 

おわり

 

あまりにムカついたので4個セットだったピンキーリング全てを指にはめ、仕事をした。指元が賑やかで良い1週間の締めくくりとなった。