日記0322

最近「人を見た目で判断しないでほしい」という類の話をする機会があった

 

しかしメンバーが居心地の良い人々だったため、私は安心しきり若干眠くなりながら話を聞いた、ので聞いたことが少し間違っているかもしれない。論点が違ったら、それは謝る。

 

たしか「待ち合わせをした時開口一番『その服はダサすぎる』と言われたのが嫌だった」という話だったと思う、いや、もっと主張があったはずだが聞き逃してしまった。

そして意見を求められたがすぐには答えられなかった

あまり人の見た目について考えたことがなかったから

 

最近SNSで、芸能人やインフルエンサーの写真と分析、例えば「この人は〇〇顔でパーツの配置が△△でかわいい、⬜︎⬜︎をこうすればもっと可愛くなる」のような文章がアップされているのを見かける。知らないところで顔の全てを分析され、論理的に可愛い/可愛くないを導き出される世界はとても怖いと思う。あと骨格とかパーソナルカラーとかも。

 

最初の話に戻るが「その服はダサすぎる」という言葉は、「見た目に言及」はしているが「見た目で判断」はしていないと思う。

「ダサい」というのはあくまで感想を述べたまでで、見た目に言及しただけ。そこに「そんなお前はおかしい」だとか「人としてどうなんだ」のような言葉を使ってその人の内面に刃を向けるなら、それは見た目で人の内面を判断したことになる。

 

もし自分がダサいと言われたらどうするか、わからない。かっこいい、かわいい、ダサいといった美的感覚には自信がないし、正解もないし、正直あまり興味がない。かわいいものは確かに可愛いんだけど、ダサい……ってなんだろう

その人が自信を持っていたり、安心していたり、すこやかな気持ちで過ごせるのなら何でもいいと思う。あと葬式に赤いドレスを着ないとか最低限のTPOを守りさえすれば

 

美的感覚はその人だけのものであり、無理に他人に合わせる必要も押し付ける必要もない、と思う

 

おわり